サイエンス・イデアだより №29(2009・1月)

今月のテーマ : 電池について

新しい年を迎え、早、1ケ月がすぎてしまいました。子供の時に、1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」と言って、3学期はすぐに終わるよと聞いたことがあります。(今は2学期制になって、3学期とは言わないよと先日、子供たちに言われましたが・・・)もう1月は終わってしまいました。年初にたてた計画は・・・、気を引き締めて、毎日を過ごしたいものです。

1月は電池をテーマに、まずは電池の中はどのようになっているのかを知るために、マンガン乾電池を分解してみました。2年生以上は自分で、1年生は部分的に分解作業をしましたが、分解してみると、少ない材料でも電池の機能があることが理解できました。

このことを覚えて、2回目の今日は身近な材料で電池づくりをしてみます。

電子メロディーを鳴らしたり、豆電球を灯すことはできるでしょうか。

今年は丑年、日本人にとって牛とは

今年は丑年、年初に「うしどし」を色々と調べてみました。まず、「うし」と入力すると「牛」ではなく「丑」と出てきます。この丑に深い意味はないようですが、牛は歩みの遅い動物であり、子年(昨年)は種まきの年であったが、丑年はそのまいた種が成長するのを見守る年であり、忍耐の求められる一年であると書かれてあって、妙に納得した一年のスタートになりました。

私たちは種をまくと、芽が出て成長し、きれいな花が咲き、新たな実を結ぶと考えますが、蒔いた種すべてが実を結ぶわけではなく、むしろ、実を結ぶには様々な困難があり、それに対処しなければならないことを、覚えなければいけません。今年はそんな一年なのでしょうか。

さて、動物の牛を私たち日本人はどうとらえているでしょうか。現在の日本人にとっての牛は食料としての利用が主で、牛肉や乳牛の利用が最も思いつくことではないでしょうか。しかし、ごく近年まで(私が小学校低学年の頃まで、約50年?くらい前)の牛の利用法は食料ではなく、食料を得るための農耕の助け手であったり、牛車(「ぎゅうしゃ」ではなく「ぎっしゃ」と読みます)の引き手であったり、あるいは重い荷物の運び手であったりと、多様な助け手であったようです。日本の農家には肉牛ではなく、また乳牛でもない牛がいたものです。しかし、耕運機をはじめとする様々な農作機器が牛の出番をなくしてしまい、牛は乳牛と肉牛のみとなってしまったのは、さびしいことかもしれません。

さて、牛と聞いて何を連想しますか。私は、牛→牧場→青い空→のどかな日々・・・・・・・・・・そんな平和な感じがするのですが、如何でしょうか。

ただ、前職で牛といえば、化粧品原料の由来動物であり、BSE問題の発生以来、牛といえば、その原産国がどこかということばかりで、うんざりした日々を過ごしたことが思い出されます。BSEはその発生原因やヒトへの伝染が不明とはいえ、牛に「牛骨粉」を食べさせると高い確率で病気になることが知られています。ではなぜ「牛骨粉」を与えたのかというと、牛の成長が早くなり、肉牛として短期間に育てられるからだと聞きました。そこまでして、牛肉をたべたいという人間の欲求は間違ったことであり、人間の手で作為的に共食いをさせたという事実からは目をそらしてはいけません。

丑年の今年こそ、牛の成長にも、子供たちの成長にも忍耐の心を持って臨みたいと思うのですが、如何でしょうか。

でも、おいしい焼肉もたまには食べたいなと思っています。

来月(2月)のプログラムについて

2月は「布を知る」をテーマとします。原料から糸、布、衣服となる過程をたどってみます。繊維の特徴も実験して確かめます。

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